こんばんは、増田です。
実は…僕には…毎年、6月になると思い出す、暗い過去があります。。。来月のメニューに繋がるエピソードなので、少しお付き合いください(このエピソードに繋がる話は「こちら」をご覧ください)。
もう20年以上前の話ですが、僕は「料理人を辞めたい」と、真剣に思ったことがあります。思い悩んでいました。精神的にドン底の状態でした。大学を卒業してから料理の世界に入った僕は、当然なんにも出来ませんでした。僕は、料理がやりたかった訳でもなく、ただ何となく働いていました。現場で飛び交う専門用語もちんぷんかんぷんで、言っていることさえ理解出来ない状態で、全く戦力になっていませんでした。それまで無駄な時間を過ごしたような気がして、大学に行ったことをとても後悔した程です。「こんな事なら早く料理の世界に入っていればよかった。。。」──そんな思いでした。毎日、シェフや先輩から罵声や暴力の嵐…身も心もボロボロの状態でした…もう辞めたい…とにかくここから逃げたい…心底そう思っていました。まかないも喉を通らず、夜も眠れない…「もう朝なんか来るな」と思っても、当たり前ですが、必ず朝になり、仕事が始まる。そして、また罵声、罵声…全く楽しくありませんでした。
ある日、意を決してシェフに「もう辞めたいです」と言いに行きました。シェフは黙って話を聞いてくださり、「明日、お前の誕生日だろ、お祝いの料理を用意してある、辞めるなら、その料理を食べてから辞めろ」──そう言われました。僕は、あまりにも精神的に追い詰められていたため、自分の誕生日のことすら忘れていました。次の日に、シェフが誕生日のお祝いに作ってくれた料理が『ホロホロ鳥のコンフィ』でした。「これを食べたら辞められる」──そんな状態でした。「一刻も早く、この場から去りたい」──そう思っていました。しかし、一口食べてその浅はかな思いがすっ飛びました。そのホロホロ鳥のコンフィが、あまりにも美味しくて…美味しくて…無我夢中で食べました!気がつくと、骨までしゃぶっていました。
「この料理、どうやって作るんですか?」──我を忘れて、シェフにそう質問していました。
「お前、辞めるんじゃなかったのか?」
「え、あ、はい、えっと、」
完全に動揺する僕に──「俺もお前と全く同じ道を歩んできた、お前の気持ちは痛いほど分かる、大丈夫だ、お前なら出来る、大丈夫だ」と、僕の手を握ってくれました。僕は涙が止まりませんでした。あの手の温もりと、あの手の大きさは、今でもはっきり覚えています。そして、シェフからこう言われました。
人生には二通りの生き方がある。
好きなことを
職業にする生き方が一つ。
もう一つは、
就いた職業を
好きになる生き方だ。
どちらも素敵な人生だが、
増田、お前は後者だ。
この言葉は一生忘れません。なんの目標も持たずに生きていた自分にとって、天から光がさしてきた気がしました。これまで僕の支えになり、これからも多くの希望を与えてくれる言葉です。その時に「絶対にこの世界で生きていく、絶対に逃げ出さない」と、心に深く深く刻みました。シェフは、僕の全てをお見通しだったのだと思います。20年以上前の話ですが、今では人生の大切な宝物です。
どんな時代でも、人と人との繋がりは尊いもので「指導や教育は、心と心が触れ合うことから成し得る」と、今は思えるようになりました。そして、続けることで見えてくる世界が必ずあります。どんな職業にも必ずある筈です。その景色こそが、人生の醍醐味だと思います。僕はたまたま料理人になり、周りの支えで続けることが出来、今の景色を見ることが出来ました。そこには必ず素敵な出会いがあり、お互いの人生の深さが見えた時に、感動するのだと思います。これからも僕は、一期一会の出会いに感謝し、料理を作り続けます。
毎年、自分の誕生日が近づくと、あの時の辛さを思い出します。ほろ苦い思い出です。あの時、ホロホロ鳥を食べなかったら、料理人を辞めていたと思います。来月、僕の誕生日月は、このホロホロ鳥の料理を、ボンマスダで出そうと思います。今度は僕が作る番です。僕の人生を変えた一皿を、是非ご賞味ください。
少し長くなってしまったので、コースの詳細はまた別のお知らせにします。